富山県の氷見市は震源地から近く、海も近いため、かなり揺れました。
はじめは小さい揺れでした。
その時点で、お父さんが石油ストーブを切ってくれていました。
私はというと、ベッドで寝ていました。
2回目の揺れは大きくて長く、ベッドから出られませんでした。
地震に弱いお母さんがテンパりはじめて、一緒にベッドに入っていました。
その間、リビングにいたお父さんがヤカンの熱湯でやけどしました。
それがよかったのかもしれません。
2回目の揺れがおさまったころ、お父さんが外に出ようと言い、私たち家族3人は、早めに避難ができました。
テンパるお母さんに喝を入れてなだめました。
いい時代になったものです。
車のテレビで一生懸命アナウンサーさんが避難を促していて、津波警報も出ていて、高台に避難しました。
アナウンサーさんの一生懸命さが伝わってきて、感動しました。
「東日本大震災の時を思い出してください!!!!」
私たちの避難したところは穴場で、そこで親切な方がカロリーメイトを2箱くださいました。
その日の晩ごはんはカロリーメイトになりました。
その後のあたりは覚えていません。
なぜなら、私はまた眠ったからです。
気づいたらいったん家に戻っていて、水分や暖かい上着、私の薬を持ってきてくれていました。
その時点でもう何人か心配して連絡をくださっており、とても心強かったです。
一旦穴場に戻ったのですが、お父さんがやけどをしたので、落ち着いたころ、市民病院に向かいました。
病院は暖かく、しっかりしていて、布団も配給してくれて、私は午前2時半まで眠りました。
もう20回30回と揺れていました。
それから目が冴えて、起きていたのですが、寝ているたくさんの人が、まるで戦場の後のように見えて少し怖かったです。
この時がいちばん怖かったです。
もともと私はあんまり慌てないタチで、お父さんとお母さんが全てやってくれたも同然なので、私は落ち着いていました。
笑顔を見せる余裕もありました。
こんな時に弱音を吐く人は、1人もいませんでした。
家が心配で、早く帰りたかったのを覚えています。
朝、様子見がてら、お父さんが食べものをコンビニで買ってきてくれました。
些細なものでしたが気分が上がりましたヨ。
2日、午前8時半、お父さんの再受診が終わってから家に帰りました。
ヤカンのお湯でリビングの床がひよりましたが、私のものはビックリするくらい被害がありませんでした。
本当にありがたいです。
LINEやSNS、などでたくさんの方が優しい言葉をくれました。
私やお母さんも、病院にいた段階で、親戚や友達などと連絡をとっていました。
ひどかったところは本当にはひどくて、気持ちが落ち着かない方がたくさんいらっしゃいました。
2日の夜に、微熱が出ました。
もう6日になりますが、かなりつらいです。
私にとって、は避難生活よりも風邪の方がしんどいです。
本当に幸運でした。
いろいろなことが重なって本当に助かりました。
断水したところもありますが、この辺は水もお湯も出ます。
感謝の極みです。
本当にありがとうございます。
みなさんに幸運がなだれのごとく起きますように💫💫💫💫💫💫💫💫
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